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衆議院選挙での投票について -私の意見-

【長文ですがみんなに読んでもらいたいです】

すでに期日前投票が始まっていますが、皆さんは今回の衆議院選挙でどのように行動しますか?
投票するのかしないのか、誰に、どの党に投票するのかしないのか。

僕は今回の選挙では「立憲民主党」とその候補者に投票することを決めました。
このように決めた理由は3つあります。
以下、その観点から僕個人の今回の選挙での意見を伝えたいなと思います。
投票に行こうか迷っている人や政治はよくわからないという人にも見てもらえたらうれしいです。

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☆1つ目、若者の投票率が著しく低いことから、一若者として僕は絶対に選挙に行きます。

前回の2017年の衆議院選挙の投票率は、60代が72.04%なのに対して、20代が33.85%、10代が40.49%でした。若者が投票に行かない今の状況では、政治家は若者に目を向けたり、若者のためのこれからの日本を作ろうとはしません。なぜならそんなことをしても選挙に勝てないからです。むしろ、たくさん投票してくれる高齢者たちのための政治を行います。
でも、今日本で一番大事なのは本当に老人のための援助なのでしょうか。これからの日本を築いていく若い人たちなのではないでしょうか。今一番苦しんでいるのは老人だけでしょうか。より多くの人が経済的な心配をせずに自由に大学に行けたり、安心して子どもを育てをしたりできる環境ができたら、若い人たちも助かるし、もっと良い社会になると思いませんか?
日本には大学に行きたくても経済的な理由からそれを諦める人もいれば、同じく経済的な不安から子育てを諦めたり、一人だけと決めたりしている人もいると思います。第一優先にするべきはそんな人たちを不要な不安から解放することだと思います。
現在の老老介護ならぬ老老政治を、もっと若者の中心の政治にしていきませんか?
そのためには、若者も投票するのだということをはっきりと示していく必要があります。
政治家が若者は票になると思えば、若者のための政策ももっと積極的になります。
投票をしましょう。
白紙投票でもいいと思います。せめて投票率を上げましょう。
(実は投票ってめちゃめちゃ簡単です。投票所に行って名簿から人とかを選んで紙に書いて箱に入れるだけなので、数分であっさりと終わります。僕も初めて投票した時に簡単かつ一瞬過ぎて拍子抜けしました。なので、初めての人も気軽に投票に行こう!)

そして可能であれば名前も書きましょう。
これは僕の持論ですが、一度投票で名前を書くことによって、その選挙の結果に少しは興味を持つきっかけになると思います。また、投票後のニュースで自分が投票をした政党がどのような活動をしているのか、多少は関心を持てると思います。
なんとなくでも、ちょっとネットで調べるでも、写真の雰囲気でもなんでもいいので、一度名前を書いて投票することがその後の政治参加や関心に繋がるのではないかと考えています。
そのため、誰、どの党に投票すればいいのかわからないという気持ちはとても分かるのですが(僕もそうでした)、特に若い人は間違えてもいいから「とりあえず投票してみる」っていうのが大事なのかなって思ってます。それが最初の大きな一歩だと思ってます。

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☆2つ目、今回の選挙では自民党には絶対に投票をしないことに決めたので、他の政党やその候補に投票をします。

自民党安倍政権は公文書の改ざんや破棄を行いました。これは絶対にあってはならないことです。公文書は政治家がやったことが適切だったのかを報道機関や国民が判断する大切な材料です。
もし国民が政治家による公文書の改ざんや破棄を許してしまったら、政治家の好き勝手やりたい放題になります。
極端に言うと、政治家が税金を使って毎日パーティを開いた場合、本来は税金の無駄遣いで罰せられるべきなのに、そのお金の用途を記録したものが政治家によって書き換えられているので、その人達を罰する証拠がなくて、国民は泣き寝入りをする事しかできないといったことになります。
そして現に同じようなことを安倍政権は行ってきたのです。
公文書改ざんは簡単に許すべきではありません!
そのような行為は到底受け入れられないのだという意思表示を選挙で行うことが必要です。
もしこれらのような不祥事を起こしても自民党が無傷なのであれば、彼らは同じことを繰り返します。
先日新たに岸田政権が誕生しましたが、顔が変わったからと言ってこれまでの公文書偽造などを許すわけにはいきません。
そのようなことをしてしまうような風潮はここで断ち切りましょう。政治のこれ以上の腐敗を僕たちの手で止めましょう。
今回の選挙では自民党を一度痛い目に合わせないといけません。
自民党の人達には「公文書改ざんなどをやった暁には権力から引きずり降ろされる!」くらいに思ってもらわないと本当に困ります。
僕は絶対に他の政党に投票します。

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☆3つ目、選択的夫婦別姓同性婚は当然の権利であると考えるため、それらに積極的に取り組もうとしている「立憲民主党」に投票します。

まず、前提としてすべての人に必ず理解してほしいのが、夫婦別姓は「!!!選択的!!!」だということです。
同姓にしたい人は同姓にできるし、別姓にしたい人は別姓にできるということです。
ここを勘違いされている人がたまにいるので、ここだけは押さえておいてほしいです。
これを踏まえた上でも選択的夫婦別姓に反対する必要はあるのでしょうか?
そしてこのような個人の自由・権利を踏みにじる権利などいったい誰にあるのでしょうか?

選択的夫婦別姓に反対する人の中には、夫婦同姓は日本の文化であり守っていくべきだとか、夫婦同じ名前じゃなきゃ家庭環境が悪くなるという人がいますが、これは本当にそうでしょうか?
まず、仮に夫婦同姓が日本の文化だとしても、その文化はそれを守りたい人が同姓にすることで守ることができます。
また、夫婦同姓を強制している国は日本政府の確認している国の中で日本だけです。他のすべての国の家庭環境が夫婦別姓によって実際に悪くなっていますか?そう判断する根拠はないと思います。また、繰り返しですが、夫婦別姓で家庭の環境が悪くなると思う人は同姓を選択すればよいのです。なので選択的夫婦別姓を導入するデメリットはありません。

夫婦が共に自分の姓を守るというのは個人の自由であり、権利であるべきです。いかなる理由であっても、他の人がそれを侵害するべきではないと思うし、まず、そもそも「選択的」夫婦別姓にわざわざ取り立てるようなデメリットなど存在しません。
同姓を強制するのは時代遅れも甚だしいです。しかも夫婦別姓を選ぶ自由を唯一阻んでいるのが「自由」民主党というのは皮肉なことです。

また、同性婚も当然の個人の自由であるべきです。LGBTなどの性的少数者の方々が「少数者」というだけで、多数派の異性愛者には存在する権利を取り上げられるべきではありません。
それは、例えるなら、白人の国で黒人の方に対して黒人は結婚など認められないと言うのと同じことです。
「少数者」であることと偏見によって、「当然の」権利を奪っていいはずがありません。
愛する人と結婚したいという純粋な願いを打ち砕く権利が誰にありますか?その願望の強さはLGBT異性愛者も同じです。
もし周りの知らない人たちの勝手な偏見や考えによって、あなたが誰とも一生結婚を許されないとされたらどう思いますか?
そして結婚ができないことによる法的な不利益を受けたらどう思いますか?

同性婚は当然に認められるべき権利です。

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以上のような理由から僕は今回の選挙では立憲民主党とその候補者に投票することを決めています。(もちろん、これが全てではないですが。)
僕も政治の複雑なことまでわかっている訳ではありませんし、すごく詳しいわけでもないですが、ここで述べた3つのことは僕の絶対に譲ることのできないものなので、少なくとも今回の選挙ではあまり迷いがありません。
もちろん、僕の言ったことはすべて正しいわけではないし、間違いもあるかもしれません。でも、開き直るわけではないのですが、僕はそれでもいいと思っています。いろんな人が、ためらいなく、自由に、思ったことを発言できるようになったらいいなと思っています。
いろんな人が発言することによって多くの人が色んな考え方に触れることができるし、どの意見が一番説得力があるかを考え、比べることができます。そして自分の中に自分だけの考えを育てるきっかけにもなると思います。
飲み会でも女子会でもなんでもいいですが、今までの普通の会話の中で、こういった話も、気軽に話せるようになったらいいなと思います。

最後の投票日までもう間もないですが(10月31日)、僕の一意見がみなさんの考えるきっかけとなったらうれしいです。

なにかコメントで意見(僕と同じようなのでも、違うものでも)を投稿してもらってもうれしいです。(自分とは違う意見に触れるというのは、物事を多面的に考えるのに役立ちますし、自分の意見の足りないところに気づくきっかけにもなるのでとても貴重だと思っています。)

あと、他の方がこの投稿を見てどう感じるのかも興味があるので、もしよかったら感想などでもいいのでコメントいただけると喜びます。

他の人の下手な英語を気にしない

こんにちは。気まぐれです。

僕は北海道大学法学部の2年生なのですが、現在、北大の提供するプログラム、Hokkaidoサマー・インスティテュート (Hokkaido Summer Institute, HSI) に参加しています。

 

HSIは北大に世界各国からの生徒や研究者、教授を招いて、日本の教授や海外から来た教授が、北大で、英語で、北大生や海外から来た学生に対して講義を行うというものです。

ちなみにHSIは北大のプログラムなのですが、似たようなことは日本を含め世界中の大学で行われています。

 

僕が現在受けているのは「日本法入門 (Introduction to Japanese Law)」という授業で、期間は今週の月曜日から金曜日まで、授業数は計8コマ(1単位分)です。

この授業に参加している生徒には、北大生と中国、台湾、フィリピン、ロシアからきた人がいて、大体合計10人くらいです。

 

英語のレベルは教授によってまちまちですが、良くも悪くも日本人には比較的聞き取りやすいと思います。ただ、法学部の性質上、英語よりもドイツ語のほうが得意という先生が多いということもあり、つっかえつっかえ何とか頑張って伝えているといった感じの先生もいます。

それは少し残念なポイントかもしれないのですが、僕にとっては、逆にそれが大きな気づきに繋がりました。

 

それは、英語を話したり聞いたりする時に、上手いか下手かは気にしなくていい。

大事なのは何を伝えるかだということです。

そして、特に見過ごされがちなポイントとして、他の人の下手な英語を気にしないということです。

 

確かに授業を提供する先生は、人によってはかなりボロボロといっても過言ではないような英語を話すのですが、海外からオンラインで参加している人たちは、みんなそれを笑ったり、聞きづらそうにしたりするのではなく、全然気にせずに、ただただ真剣に聞いているのです。

そしてどんなに英語がボロボロな先生に対しても積極的に質問をして、返ってくるボロボロの英語を笑顔で聞いて、理解できないところがあればそこを聞きなおします。教授もなんとか伝えようと頑張ります。

僕はそのやり取りにとても感激しました。

自分も含め多くの日本の人は、英語がきれいな発音で話せないことや、文法通りに話すことができないことなどを理由に、英語を話すことを躊躇すると思います。しかし、本当に大事なのはきれいな英語を話すことや、正確な英語を話すことではなく、何を話すのかということと、それを何とか伝えようとすることではないでしょうか。

 

また、どう話すのかだけではなく、どう聞くのかということも大切だと気付きました。

話している人の英語がボロボロであっても、それを可笑しいと思ったり、下手とかダメだと思ったりすることは、無意味な事です。大事なのは、聞き取りにくくてもなんとか理解しようとする姿勢です。

 

英語というコミュニケーション"ツール (道具)"を使う際の目的はコミュニケーションを取ることです。そのため、一番大事なのは、どうやって伝えるかということと、どうやって理解するかということです。英語がうまいか否かによらず、コミュニケーションは取れます。

英語が下手なのを気にするのは、その目的と全く関係のないことです。「話すのをためらわないことが大事」ということは多くの人が理解していると思いますが、「下手な英語を聞いても気にしない」というのは、それほど馴染みのあることではない気がします。

他の人の下手な英語を気にしていると、今度自分が話すときに「下手な英語は話したくない」といった意識に繋がります。また「下手な英語だから聞き取れない」と考えてしまっては、コミュニケーションを取るという本来の目的を諦めてしまうことになったり、コミュニケーションを取る姿勢に重大な支障をきたしたりします。

下手な英語を気にするというのは、むしろ「コミュニケーションを取る」という英語を使う最終目的の障害にさえなります。この意識を捨てるということはあまり馴染みのない、隠された重要なポイントなのかなと思いました。

 

ほとんど自戒なのですが…

 

ブログを始めた理由

こんにちは。気がついたらブログを始めていた気まぐれです。

今日の朝10時頃に急に「ブログを始めよう!」となり(なんでだよ)、ブログの始め方を多少ググって、11時半に はてなブログで人生初のブログを開設しました。

 

とはいえ、始めた理由が全くないわけではなく、ちゃんと理由があります。

列挙すると、

1.自己表現力や自己発信力の向上

自分の考えや体験を文章にするという行為を通じて、普段自分の感じてることや思っていることを、自分の言葉で伝えるという能力を向上させたいということです。

僕はあまり話がうまいほうではなく、何か考えがあってもうまくまとめながら説明したり、分かりやすく説明したりすることができなかったりするので、ブログを通じて、少しでも自分の内部にあるものを言葉で相手に伝えるということに慣れていけたらと思います。

2.言語化による自己認識の向上(簡単に言うと頭の整理)

普段、僕はそれほど人と多く話さないため(特にコロナ下ということもあり)、自分が日常的に考えていることや経験したことを、言葉で誰かに伝えるということをあまりしません。頭の中だけで考えるのと、考えたことを話したり書いたりして何らかの形で言語化するということには、大きな違いがあります。頭の中だけで考えていると、今考えている問題が何となく解決したような気に感じても、実際はうまくまとまった考えになっていないことがあります。また、記憶にも残りにくく、とりとめのないまま、ぼんやりとした形を保ったまま、どっかに消え去っていきます。

実際に僕は自分の考えは持っていても漠然とした感覚でしかなく、人に話そうとしても言葉を通じて捉えきれないといったことが多いです。また、普段自分が何を考えているのかもわからないくらいに、一つ考えては忘れ、一つ考えては忘れ…を繰り返しています。ブログ上で考えを言語化することで、それを少しでも改善出来たらなと思っています。

3.タイピングの練習

これまでさんざん何だかうまく伝わるのだか、伝わらないのだかよくわからないようなことを書いてきましたが、これはシンプルにパソコンに文字を打つ能力の向上を目指すということです。

 

以前から上記の1と2の目的で日記を書いていて、その効果は感じていたのですが、最近は、ただ書き出すだけではなくて、他の人にも聞いてもらいたいという気持ちになったのと、毎日書く予定だった日記が、最近は少し飽きてしまって、何か思ったことがあるときに気まぐれに書くといった感じになってしまってたので、新しい形で同じ目的を達成できるブログに挑戦してみたいという気持ちになったという感じですかね。

 

もともと自分の考えを表現するということには興味があって、TwitterFacebookなどでも考えを多少は発信していたのですが、この二つは普通の友達も含まれてしまうので、単純に自分のことを発信するためだけの場を設けたかったというのもあります。

 

それと最後に、ブログを通じて間接的にいろんな人と接することができる(僕のブログを見てくださる人はそうそういないとは思いますが、可能性として出来るということです)、いわば公の場に出てみたいという好奇心です。公の場で自己発信をしてみたいというのもあります。(TwitterFacebookではほとんどが内輪完結なので、公の場とは違うように感じます)

 

想像以上に長くなってしまいましたが、こんな感じですかね。

多分、人様に見てもらうものという以上、本当は簡潔に書くことが大切だと思うのですが、少なくともしばらくの間は、あまり気にせずに、思ったように書いていきたいと思います。

もしこんな文章でも読んでくれる人がいたら飛び跳ねて喜びます。

これからよろしくお願いします。